
はじめに
我が家に2枚の投票所入場券が届きました。
2025/07/20の参議院議員通常選挙と、2025/08/03の仙台市長選挙の投票所入場券です。
私は普段政治について何か言うことは無いのですが、この機会にたまには政治の話をしましょう。
といっても具体的な支持政党とか支持する政策とかを明らかにするつもりはありませんし、私は政治学者でも法律学者でも経済学者でもありません。
誰がどの程度の損得をするかの違いでしかない
参議院議員通常選挙の投票日を目前にして我が家の周りでは様々な政党や立候補者の選挙カーが大音量で走り回っています。
各々が各々の政策・マニフェストを声高らかに宣言しています。
さて私の政治観ですが、2025年現在で日本の人口は1.2億人ほどですが、この1.2億人全員が幸せになって豊かになる政策なんて存在しないと思っています。
どんな政策であれ、この1.2億人を様々な条件によって細かく分けて、得をする側と損をする側に振り分けるのです。
たとえば独身だとか結婚して子どもがいるとか要介護者だとか土地持ちだとか車持ちだとか、そんな感じの条件です。
そして得をする側はどの程度得をして、損をする側はどの程度損をして、という具合に、どんな政策であれ、どのくらいの対象者がどの程度の損得をするかの違いでしかないと思っています。
政党や立候補者を支持する人は、その政策が実現すれば支持する人自身が得をする側に入ることができるから支持をしているだけです。
自分が損な役回りをする政策を熱狂的に支持する人なんて、その政策をよく理解してなくて立候補者の看板(顔・肩書・政党というブランド)で選んでいる人くらいです。
もし1.2億人全員が幸せになって豊かになる政策が存在するのならば、複数人の立候補者が現れても投票数が一極集中しますよね。
でも実際はそうならずに分散しています。
ということは1.2億人全員が幸せになって豊かになる政策なんて存在しないんです。
自分が得する側に属することができる政党や立候補者を神輿として担いでいるだけです。
誰かが喜べば誰かが苦しむ、政治とはそういうもの
たとえば、政党や立候補者が「◯◯税を軽減します」と主張したとして、それによって喜ぶ人や企業が出てくる一方で、税収が減って苦しむ人や企業も出てきますよね。
この「誰かが喜べば誰かが苦しむ、政治とはそういうもの」という考え方がすっぽり抜け落ちた状態で、政党や立候補者は耳障りの良い政策・マニフェストをアピールしている気がするのです。
そしてその根本原因は学校教育、特に歴史教育にあると思うのです。
小学校・中学校・高等学校で実施する歴史の授業って年表を眺めながら「西暦何年にこんな出来事があった、こんな法律ができた」とかひたすら暗記する年表覚えゲーですよね。
そうすると児童や学生の頭には「いつどこで何があった」という時間と場所と事実が不連続的に、複数の出来事が独立した情報としてしか記憶に残りません。
でも実際には「出来事Aに起因して出来事Bが起きた」という具合に関連性があったりして、その関連の方が実は重要な情報だったりしますよね。
そして本当に重要なことって「その出来事が起こった背景」「その法律をつくらなければならなかった事情」「その出来事や法律によって誰が喜び、誰が苦しんだか」といった年表に現れない情報ですよね。
歴史を変えるような出来事があったのが西暦何年だったかなんて、そんなに重要ではないのです。
その年表に現れない情報について「歴史上の人物の下した判断は果たして正しかったのか?」といった議論を授業であまり取り上げずに年表覚えゲーになってしまっているために、学校を出て社会で立派に働いている人でも「誰かが喜べば誰かが苦しむ、政治とはそういうもの」という考え方がすっぽり抜け落ちた状態で、耳障りの良い政策・マニフェストに踊らされている気がするのです。
外国に依存するようになった時点で、この国はもう死に絶えた
もっとも、様々な政党や立候補者が耳障りの良い政策・マニフェストをアピールしたところで、もうこの日本という国家は死に絶えている、というのが私の政治観です。
経済だとか地方自治だとか労働者だとか、国家運営の根幹に関わるところを、外国資本だとかインバウンドだとか外国人労働者だとかの外国に依存するようになった時点で、日本は死んだのだと思うのです。
日本人だけで国内のありとあらゆる流れを円滑にまわして、外国のヒト・モノ・カネはオプショナルであれば、まだ国家として生きている状態だったと思います。
2025年現在、日本人労働者が確保できなくて外国人労働者に依存している業界もあれば、日本国内で獲得できる案件が枯渇して海外に活路を見出そうとしている業界もあるでしょう。
労働の難易度や、必要資格の取得に要するコストを勘案せず、地域別最低賃金をわずかに上回る程度の時給しか出せない企業もあるでしょう。
こうなった時点で手遅れだと思うのです。
日本人だけで国内のありとあらゆる流れを円滑にまわせる時代まで遡ることができるなら状況は変わるのでしょうけれど、日本史の年表のどのあたりまで戻ることになるでしょうね。
戦前よりさらに昔、江戸時代のあたりでしょうか、もう戻ることはできないのでしょうね。
最後に
各選挙の投票日に投票には行きますが、国家運営や地方自治の未来については私は悲観的に見ています。
ぶっちゃけ誰が政権運営を担っても良くなることはない、一見良くなったように見えてもそのしわ寄せが別のどこかに現れる、そんな風に見ています。
老体に鞭打って選挙カーの上で大声で主義主張をアピールしている立候補者を眺めながら、冷めた目で私は思うのです。
「あなたの主義主張は筋が通っていてメリットがあるように思える一方で、語られていないデメリットやリスクも存在するよね」
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